様々な歴史の背景 その7
人間に識別できる色の数は、計算上の推定では、およそ七五〇万色くらいになるといわれるが、これは人間の数よりははるかに少ない。
だから、それぞれの人が自分の好きな色をあげるとすると、当然ひとつの色に何人もの人が集中する。
青系統の色や赤、緑などはかなり多くの人が好きな色に選ぶ色だし、最近の目本では、何故か白に人気が集っている。
その反対に本章の主役である紫を好
きだという人は、近来ますます減少の傾向にある。
人間に識別できる色の数は、計算上の推定では、およそ七五〇万色くらいになるといわれるが、これは人間の数よりははるかに少ない。
だから、それぞれの人が自分の好きな色をあげるとすると、当然ひとつの色に何人もの人が集中する。
青系統の色や赤、緑などはかなり多くの人が好きな色に選ぶ色だし、最近の目本では、何故か白に人気が集っている。
その反対に本章の主役である紫を好
きだという人は、近来ますます減少の傾向にある。
一九六七年の調査では、すでに濃い紫色は嫌われる色の第五位になっているし、二〇歳前後の女性だけを対象に行った調査では、二六%の人が嫌いな色に濃い紫をあげていて、この色を好きな色にあげたのは、同年代の女性のわずか二%にすぎない。
紫色は、どちらかといえば男性よりも女性に好まれる色であり、最近の調査結果でもやはりその傾向は見られるのだが、それでも全体的な嗜好率ということになると、依然として低落傾向を続けている。
それほど紫は、現在の日本人には非日常的な色になり、日常の生活感覚からは縁遠い色になっているわけだ。
少なくとも、紫色の反応に関する限り、戦後の日本人は、それまでの日本人とは別の民族のように変ってしまったといえるでしょう。
色彩文化の点で、現代人はすっかりコスモポリタンになったようです。
一九五四年(昭29)の色彩嗜好調査の記録では、まだ紫色は日本女性の嗜好色の第五位に入っていた。
その頃まで和服の紫色の記憶が残っていたのでしょう。
しかし、以後、紫は日本人の大多数に好まれない色の代表的な色になりつつあります。
明暗清濁すべての色調を含めても、紫系の服装の出現率が四%に達したのは、一九七二年の春と秋に一回つつあるだけなのだ。
この現象は、着こなすのが難しい色だということもあるだろうが、洋服はもちろん西洋渡来の衣服なのだから、もともと西洋では特殊な場合にしか着られない色であった、という影響も大きかったにちがいありません。
前田千寸氏は著書「むらさきくさ」で、和服の色としての紫をこう紹介しています。
―第二次世界大戦前、日本で婦人の洋服が流行しなかった間は、若い女性の服色はほとんど紫系統に傾倒していた。
大デパートが毎年競って売り出す流行色が、紫系統の種々相でした。
大デパートの意匠部かあるいは製産家が脳漿を絞って案出した新様色が紫系統色から出られません。
そしてそれが必ずさばけていくという事実は、日本人がいかに紫色と深い因縁をもつかを物語るものでしょう。
この文章は、戦後の昭和二七年三月に発表されたものの一部だが、第二次世界大戦後、日本人の衣生活が洋服中心に変るとともに、紫色とは縁がなくなり、紫色に対する感情もすっかり変ってしまったのです。
服の色にかぎらず、現在ではほとんどの生活用品に、紫色の製品を見出すことはむずかしくなりました。
日本人の連想語にも、悲哀、心配などの類似の言葉があげられているが、高貴、神秘など、古代紫の記憶を思わせる連想も残っており、西洋人のように死につながる不吉な連想はあまり見られない。
このように西洋人と日本人では、紫色についての根本的な連想や象徴が異るので、風俗においても、紫色の使われ方はたいへん違ったものになるのは当然でしょう。
日本色彩研究所で二〇数年来続けられてきた、銀座街頭で見られる、服装として着用されている色の調査では、紫色の洋服の出現率は非常に少なく、ほとんどの年で紫色の欄は空白のままです。
日本で紅と見る色を漢では紫と見ていたのです。
西洋では、古代ギリシャの大詩人ホメロスが、パープルという言葉を、陰気な考え、あるいは死や悲しみを表わすのに用いたといわれています。
近代の色彩連想においても、西洋人のこの色に対する反応として、葬儀、虚飾、ミステリーなどの連想語があげられている。
メランコリー、繊細、高雅、静寂などの日本人とも共通する連想の底にも、西洋人特有の一種の暗い不吉な感情が潜んでいるようです。
色相環の中で、感覚的に赤と青の真ん中にあると感じられる色が、典型的な紫色とい、兄るはずだが、この典型的な紫色を、昔から正当に紫と名づけてきたのは、おそらく日本人でしょう。
紫根染の古代紫がおそらくその色相の色であったからにちがいありません。
西洋の古代紫といわれる「チリアンパープル」や「ロイヤルパープル」は、どちらかとい、兄ば赤紫であったとされているし、古代中国の紫も、赤がちであったと思われる例として、前田千寸氏は次のような言葉遣いを指摘されています。
―日本で「百日紅」という花が、漢名では「紫薇」といわれているのによっても(それは)想像されます。
長者ヶ森と異なり、帰り水の林はほとんどが落葉広葉樹。
なかでも背の高いのはエノキだ窪みの底では、澄んだ地下水がわずかに顔をのぞかせている。
秋吉台で水の流れが見られるのは唯一ここだけ。
それもじきに地中に潜ってしまうので、帰り水という名がつけられた。
ほかには、カエデの仲間とは思えないような形の葉をつけるチドリノキ、葉に香ばしい香りがあるヤマコウバシ、秋に美しい実をつけるマユミ、そしてゴマギなど山焼きの火も届かない窪地の底には、ゆっくりと森の再生へ歩み始めた、別の世界がある。
なお、この周辺には、石灰岩柱が多数裸出している地獄台や、ドリーネ群の発達した馬ころびなど、石灰岩地帯独特の地形を見ることができる。
春にはたくさんのセンボンヤリやニオイタチツボスミレ、貴重なオキナグサなど、夏にはカノコソウ、オカオグルマ、キキョウなど、秋にはオミナエシ、ハギ類などに混じり固有種のアキヨシアザミなど、季節ごとにさまざまな草花に彩られ、毎日そのようすを変化させる、ときには野生のキジに出会うこともある。
また、毎年の山焼きにも、まわりの石灰岩に守られてか、たくましく生き延びている野生のモモの木も見られる。
草花を愛でながら帰り水へと向かう。
帰り水は、雨により石灰岩地が溶かされて陥没したドリーネと呼ばれる窪地の底にあり、今では小さな林となっている。
帰り水へ向かう途中、ドリーネの底を畑として利用しているドリーネ耕作のようすも見られる。
タブノキをはじめとし、ユズリハ、ヤブツバキなど66種類もの木々の森で、ほとんどが照葉樹。
ここは山の神を祀る神聖な森で、周囲の森を伐ってきた人々も、この森には斧を人れなかった。
森の中には小さな祠もある。石灰岩にしっかりと根を張ったタブノキの樹齢はおよそ250年。
人が手を加える以前は、秋吉台全体がこうした巨木に覆われた原生林だった。
そのころの面影を唯一とどめているのがこの長昔ヶ森なのだ。
長者ヶ森をあとに、台地の草原を帰り水へと向かう。
草原は4月にもなると真っ黒な焼け跡からやわらかな草がいっせいに伸び出し、まぶしい緑に包まれる。
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